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出品物 |
ご覧いただきありがとうございます。今回出品する品物は、写真の刀です。 銃砲刀剣類登録証番号 福島県 第64536号 種別 刀 長さ 71.7センチ 反り 2.0センチ 目くぎ穴 1個 元幅約3.4センチ 元重約0.75センチ 先幅約2.2センチ 刀身だけの重量約745グラム 在銘 無銘 約二尺四寸弱の拵え付き御刀です。無銘ですが、造りからして新々刀の時代だと思います。 拵えは黒茶塗鞘で下緒も付いています。縁頭や目貫は銀色雲龍図で鍔は鉄地覆輪鍔です。 刀身は、無銘ではありますが、備前伝を得意とした「固山宗次」のような刀身で、乱れ刃紋 の鎬造りです。登録証も固山宗次の地元である福島県登録です。 初茎で、焼刃は高く豪快な乱れ刃紋ですので、迫力のある御刀です。 長さもありますので、居合や抜刀にも最適の刀身です。刃紋が綺麗ですので、居合の大会に 使用するのもいいと思います。 もちろん、鑑賞用にも最高の一振りです。 固山 宗次(こやま むねつぐ、享和3年(1803年) - 没年不明)は、江戸時代の刀工。 通称は宗兵衛。号は一専斎、精良斎。受領名は備前介。時代区分では新々刀にあたる。 陸奥国白河(現 福島県白河市)に生まれる。兄は同じく刀工の固山宗平(こやま むねひら)。 白河藩主であった久松松平家のお抱え刀工となり松平定信に仕えたとする説もあるがこれは誤り。 丸山栄一氏の研究によれば、固山家は町鍛冶で、抱え鍛冶ではなかったという。文政6年(1823 年)に松平家は桑名藩へ転封となったが、宗次はしばらく白河に留まり、文政12年(1829年)頃 に伊勢国桑名(現 三重県桑名市)に移ったが、仕官はならず。尾張に滞在した後、天保初年に江 戸へ出た。 天保2年(1831年)から5年(1834年)までの作に「於江都」と添銘を切っており、江戸での鍛刀し ていたようである。 加藤綱英の門をたたくが、当時綱英は乱心して引退していた。そこでその弟長運斎綱俊が師事した。 そして試刀家で犬山城主成瀬家の家臣伊賀乗重や山田浅右衛門と交流。よく切れて、しかも美しい 刀の鍛造を目指した。 得意としたのは備前伝と美濃伝。そして天保八年二月ごろまでに桑名藩工に迎えられた。これは小 島つとむ氏の『刀剣美術』2002年1月号の論文に詳しい。 弘化2年(1845年)、桑名臣として備前介を受領する。 没年は不明だが「明治三年」と銘が切られた作があることから、明治3年(1870年)以降の明治初 期に没したようである。 作風は備前伝を得意としており、初期作は特に華やかな丁子乱れが多く、後期作には互の目乱れの 穏やかな作風もある。彼の他工にはない特色は刃縁に荒沸が一切つかないこと。これは宗次の最大 の長所である。 発送は年末年始ですので、1月4日以降になります。 後は写真と画像を見て判断下さい質問はわかる範囲でお答えしますので、入札前にお願いします。 発送はゆうパックの着払いです。 ※注意事項※落札しましたら、登録のある教育委員会に名義変更届を出してください。 よろしくお願いします。 |